香港シリーズ4(帰国)
こんにちは、久しぶりに香港シリーズです!
このシリーズは今回で最終回です。
ひと月以上空いたので過去記事をリンクして
おきます。
https://h-five5.com/post-89/
https://h-five5.com/post-94/
https://h-five5.com/post-158/
軽くおさらい
リンクは貼りましたが、軽くおさらいします。
1996年、当時中国の深圳に単身赴任していた
父親が救急搬送されたと連絡がありました。
当時の中国医療が信用できず陸路香港まで
数時間かけて運ばれたそうです。
病状も深刻だったので、私と母はすぐに
香港へ行きました。
父親は危ないながらも回復傾向だったの
で一時帰国し、付き添いのため再び
香港に行きました。
ところが中国返還前の香港は観光客が多く
帰りのチケットが取れない為、約ひと月
香港に滞在する事になりました。
父親は健康診断も受けていたし、単身赴任中の
出来事だったので、渡航費から宿泊費は父の
勤めていた会社が負担してくれました。
もちろん香港での入院治療費もです。
滞在中、午前中に父の入院している病院に顔を
出すとその後やる事が無く、付き添いに母親が
いるので、日中の私は香港の街並みを散策して
いました。
その時、描いた絵を掲載しているのが
この香港シリーズになります。
約ひと月滞在して
最初の頃は、父の会社の方と面会したり宿舎の
引き払いなどやる事もあったのですが、
それらも直ぐに終わってしまいました。
父も私にボケッと病室に居られる事が嫌だった
ようで、仕事に活かすためにリサーチしてくる
ように勧めてくれました。
香港の繁華街は狭いので、大体歩いて回れます。
治安も想像より悪くないし快適に過ごせました。
1週間もするとこなれて来て現地の人に間違われ
中国語で道を聞かれるようになりました(笑)
料理も海鮮を中心に美味しい物が多く、
ビールも冷えてて美味しかったです。
後に仕事で中国に行く機会があったのですが
中国では[冷えたビールをください]と注文
しないとビールは常温で出て来ます・・・
そんな日々を送っているうちに、父も外出が
できるくらい回復し、いよいよ帰国できるよ
うになりました。
帰国に向けて
父には母の意思で癌の告知をしませんでした。
なので父は悪い所を切ったのでもう体力が回復
すれば健康と思っているようでした(笑)
医師には、帰国後の正月が最期の正月になるか
年を越せないかもと言われていたので、何とも
言えない感じがしました。
それでも退院の日程が決まり、父の会社の方が
なんとか帰りのチケットを確保してくれました。
その頃の父は、香港でやり残しがないようにと
繁華街に外出し、買い物を楽しみ、カレーや
麻婆豆腐など刺激物を食べていました。
さすが戦前生まれ・・・驚異の回復力です(笑)
その時に買った物のひとつが左のオメガです。
オメガの中ではリーズナブルな物ですが、
帰国後の治療費とかを考えて節約したみたい
ですね。もっと高いやつ見てましたから(笑)
右の2枚の絵は、失敗作とスケッチです。
ここに掲載するレベルではないのですが
当時の香港が思い出されるので、載せます。
下手ですね・・・(苦笑)
帰国からその後
帰国はキャセイパシフィック航空の便でした。
両親はファーストクラスで、私はエコノミー
クラスです。
当然私だけラウンジも入れません。
ただの付き添いですから・・・
帰国後、日本での治療先を探し、告知しないで
治療する方針を伝えました。
日本での見立ても長くて余命3ヶ月程度との事
なので、積極的な治療はせずに保存療法中心
で行く事になりました。
当然、本人にはなるべく自由にしてもらうと
言う事で、特に禁止事項もありません。
するとどうでしょう、さすがにタバコは
やめましたが、アルコールは毎日飲んで
いました。
しかも、毎日赤ワインを1本空けていた
ようです。
好きなことをして過ごす
日中は好きなラグビー観戦や温泉と読書。
夜はワイン1本空ける、そんな日々を送って
いたみたいで、気がつくと余命宣告されてから
4年半生存していました。
さすがに、最後は辛かったみたいですが
変に摂生や禁酒とかしないで、好きなことを
する事が健康に過ごせる秘訣ではないかと
思いました。
写真のオメガは長い事母親が保管していました
が数年前に私に譲ってくれました。
直ぐにオーバーホールして今では私の左腕に
収まっています。
あれから香港には行っていませんが、
機会があればまた行ってみたいと思います。
その際は競馬場が見える病院と湾仔の
飲食店街には行かないといけませんね(笑)
では、今日はこの辺で終わります。
水曜日、踏ん張って行きましょう!
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